被害生存者の憩いの場であった<平和のウリチプ>を閉鎖
1990年11月16日に発足した韓国挺身隊問題対策協議会は、1991年8月14日の金学順被害生存者の初めての証言からこれまで、被害者の生活安定のための支援と名誉回復、記憶と歴史の継承のための法制度づくりに率先して取り組む一方、日本の戦争犯罪真相究明・謝罪と賠償のための活動を共に展開してきました。 これに被害生存者たちは日本軍'慰安婦'被害が個人の'問題'ではなく、時代的な痛みであり、植民地と家父長制、軍国主義と戦争の問題であることを自覚し、主体的な女性人権運動家として活動してきました。
2003年12月、被害者の高齢化、日常生活を営むことすら困難なほど悪化する健康状態、劣悪な住居環境や寂しさへの憂慮が高まり、また、活動のために他の地域から来られる被害者のための短期滞在空間が必要だと判断した挺対協は、西大門に一戸建て住宅を間借りし、シムト(憩いの場)を設けました。
被害者たちはシムトを<ウリチプ>と呼びました。 シムトの最初の入居者は金O心、鄭O弘、黄錦周、李容洙さんら生存者で、その後、李マクタル、吉元玉、李順徳が入居しました。 上海に連行され、解放後、故郷に戻ることができず、中国に住んでいた朴ウドゥクさんが娘とともに国籍回復のために故郷を訪れた時、約3ヶ月間滞在しました。 病気で亡くなるまで、黄スニ、ソン・パニムさんがシムトでお世話を受けました。(『韓国挺身隊問題対策協議会20年史』、2014:228ページ)。
しかし、西大門シムトは天井から雨漏りするなど、30年前の老朽化施設で環境は劣悪でした。 さらに、シムトの地域が再開発対象に指定されると、安定した空間づくりが迫られるようになりました。難しい事情を知った金ジョンセン牧師(当時韓国教会希望奉仕団事務総長)は2010年に開かれた'韓国教会8.15大成会'で「元慰安婦ハルモニたちに韓国教会がともに関心を持ってほしい」と訴えるようになります。 2012年10月22日、ついに地上2階·地下1階の一戸建て住宅に非公開の生活共同体<平和のウリチプ>が開館しました。
韓国基督公報(2020年11月01日)によると、麻浦シムトへの入居感謝礼拝で、仏教信者だった故金福童人権活動家は、「獣も自分が横になる場所があるのに、長い放浪生活の末、新しいシムトができたなんて、これこそ神の恵みだと思う」と語り、「孤独な時間だったし、社会では常に冷たい視線を避けられなかったが、韓国教会と共に仕事をしながら、多くの慰めを受ける」と感激していました。 その後、麻浦シムトは、ミョンソン教会の無償賃貸として支援を受けることになり、被害者の安定した日常と活動に大きな力になりました。日本軍'慰安婦'問題解決運動に韓国教会女性連合会が礎石を置いたように、当事者たちの実質的な生活安定に韓国キリスト教界が再び助けを与えてくれました。
麻浦シムトには、3人の被害生存者が生活しました。
吉元玉ハルモニは2004年10月26日、故李順徳ハルモニは2005年9月22日、故金福童ハルモニは2010年3月29日、シムトにいらっしゃいました。借家暮らしとは違い、安定した住居環境は、健康にも大きな助けとなりました。 その他にも、短期的にソウルに来られる被害生存者の心強い基盤となり、当事者の人権運動の支えとなりました。
麻浦シムトは、所長と療養保護士による24時間ケア体制で運営されました。 同時に挺対協・正義連の活動家だけでなく、多くの市民がともに集う場所でもありました。
園芸治療教室、歌教室、健康教室、書道教室など、様々な活動が行われ、一方的な被害者対象治癒ではなく、相互にふれあい交流を通じて運動の意味を悟り、継承しようとする市民が増えました。
延世医療院の労働組合は定期的に訪問して医療ボランティア活動を行い、アイクップ生協では毎年キムジャンをにぎやかに行っていました。 シムトのボランティア団体である<ボドゥミ>は、月1回、定期的に水槽の掃除、庭の芝生の引き抜きなどを担当しています。 マリーモンドも「ジャージャー麺デー」などを通じて、ハルモニとなった被害者たちと未来世代の交流に力を注ぎました。
国連の真実・正義・賠償・再発防止特別報告官らが、世界各地で人権と平和のために活動する被害生存者たちに会うために訪れ、植民地、戦争、国家暴力の歴史が二度と起こらないように活動することを誓いました。
何より2004年からシムトで苦楽をともにしてきた故ソン・ヨンミ所長は、被害者たちの最も大切なパートナーでした。孫所長は2020年6月に永眠されるまで<平和のウリチプ>の暮らしを任され、昼夜を問わずハルモニたちの健康のお世話をし、情緒的な安定のために献身しました。 家族のような雰囲気で一緒にご飯も作って食べ、お互いに頼り、励ましあいながら過ごしました。
2003年、<ウリチプ>から始まった<平和のウリチプ>は、シムトの最後の住人であった吉元玉ハルモニがご家族のもとへ帰られることにより、閉鎖することになりました。
被害者の尊厳と人権の回復、平和と人権の価値を広めてきたシムトは、今、歴史の舞台裏に消えていきます。 それでも、被害者が主体的に堂々と立ち上がって大きな役割を果たしたシムト、ともに笑って泣いて時間と空間を分かち合った被害者たち、彼女らの手を温かく握った世界中の市民たちの心は日本軍'慰安婦'問題解決運動の歴史に深く刻まれるでしょう。
私たちみんなの心の中で永遠に生き続ける<平和のウリチプ>のために、新しい運動の扉を開くために、正義連活動家たちはこれからも一層努力していきます。
社会的弱者の声に進んで耳を傾け、応援してくださったすべてのみなさまに心から感謝いたします。天にいらっしゃる李順徳、金福童「ハルモニ」にもあらためて懐かしさと愛をこめてご挨拶を申し上げます。
2020年11月2日
吉元玉「ハルモニ」の健康を願って
正義記憶連帯活動家一同
(訳:Kitamura Megumi)
<原文>
https://blog.naver.com/war_women/222133706040