〈報告〉戦時性暴力問題連絡協議会 第93回水曜行動 in 新宿 月間報告:池田恵理子(2025年12月17日)
今年は戦後80年ということで様々な動きがあり、慌ただしい1カ月でした。「慰安婦」問題では日本と深く関わってきた韓国でも、「植民地支配の解放から80年」、「日韓国交正常化から60年」ということもあっていろいろな催しがありました。
「慰安婦」問題にとっては35年前の1990年が大きなポイントの年にあたります。1991年は金学順さんが初めて「慰安婦」被害者として名乗り出た年ですが、その背景には70年代に日本人男性のキーセン観光反対運動が盛り上がったこと、80年代から90年代の民主化運動の中で女性たちが性暴力を告発する運動を展開したことなどがありました。1990年には、「慰安婦」問題の先頭に立って取り組んできた韓国挺身隊問題対策協議会(略称「挺対協」、その後継団体が「正義記憶連帯」)がスタートしました。
明日12月18日には、この正義連と日本の「Fight for Justice」(以下、FFJ)が主催するシンポジウム「日本軍性奴隷制問題解決のための35年の研究成果と対抗記憶の未来」が開催されます。私たちの仲間もこれに参加しますが、ちょうど12月16日が金学順さんと在日「慰安婦」被害者・宋神道さんの命日にあたるので、「二人のお墓参りもしてきます」という人もいました。様々な意味で、2025年の12月にはいろんなことがあるのです。
●「女性国際戦犯法廷」と「国際公聴会」が問いかけたこと
「慰安婦」問題にとって画期的な出来事が、今から25年前の2000年12月にありました。「慰安婦」制度を裁く民衆法廷「女性国際戦犯法廷」(以下「女性法廷」)が日本の女性たちの提案で、東京で開催されたのです。
ここでは連合国による戦犯裁判でも、90年代から始まった被害女性たちによる民事裁判でも問われなかった「慰安婦」制度の責任者として昭和天皇を含む日本軍の責任者が裁かれ、日本の国家責任が問われました。アジアの国々から64人の被害女性が来日して法廷で証言台に立ち、元日本兵も加害を証言しました。この「女性法廷」以降、戦時性暴力問題や戦争犯罪に関する国家責任を問う民衆法廷が世界の様々な国で行われるようになりました。
これが行われたのは四半世紀も前のことですが、私にはつい昨日のことのように感じられます。しかし、今の若い世代にとっては「名前を聴いたことはあるけれど、よく知らない」という人がほとんどではないでしょうか。
私は「女性法廷」の実行委員の一人でした。当時はNHKのディレクターとして番組を作っていましたが、市民活動として若い女性たちと「ビデオ塾」という小さな映像制作集団を作り、「女性法廷」のインターネット中継や証言の撮影などを担当しました。「女性法廷」の映像記録を保存し、映像作品も作ってきたため、この11月23日にはFFJに呼ばれて映像を上映しながら「女性法廷」とは何だったのかという話をしてきました。それを聴いた若い人たちからは、「女性法廷」は貴重なものだから映像記録や映像作品をしっかり観たい・・・と言われて嬉しくなりました。また新しい課題が出てきたように思います。
それからもう一つ、「女性法廷」で判決概要が出る前日の12月11日には、同じ会場に世界17カ国から性暴力の被害女性が集まり、「現代の紛争下における性暴力の国際公聴会」(以下「国際公聴会」)を開いたことも忘れてはなりません。
「国際公聴会」が行われるようになった背景には、1995年に北京で行われた国連の「世界女性会議」がありました。北京には日本から5000人もの女性たちが結集して「慰安婦」問題や戦時性暴力問題、沖縄の米兵の性暴力問題などのワークショップに参加し、大いに盛り上がったことを思い出します。
台湾有事をめぐる高市首相の国会答弁に中国が猛反発して、日中関係は悪化していますが、私たちは台湾と中国の状況についてどこまで知っているでしょうか。
アジア各国の「慰安婦」被害者のことを考えると、様々な国の女性たちとその国の歴史や現状をもっと知っていかなければ・・・と、改めて思います。
そんな時にぴったりの「慰安婦」問題の連即講座を女性団体「ふぇみゼミ&カフェ」が始めました。12月12日からは「台湾・シンガポール・湖南・ドイツから見る日本軍の性暴力vol.2」で、各地で調査を続ける研究者に被害の実態や運動・研究の最近の動向を紹介してもらう企画です。こういう取り組みが若い女性たちによって行われているのはとても心強いですね。
東ティモールからは「女性法廷」で二人の被害女性が初めて証言されましたが、この国は50年前にポルトガル植民地から解放された後、インドネシアに軍事支配されて独立運動が盛り上がりました。独立を支援し、「慰安婦」被害者への支援活動も行ってきた「大阪東ティモール協会」はこの12月、「東ティモール独立運動40周年」の写真展と集会を開催しました。
インドネシアの南スラウェシの被害女性・チンダさんの入院は以前にもお伝えしましたが、また再入院したとのことです。体調が快復されることを祈っています。
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国際社会から厳しい指摘を受ける日本政府
各国の被害女性たちは次の世代へのバトンタッチを試みながら、「慰安婦」問題の解決を求めて活動を続けてきましたが、高齢となって身体を壊したり寿命が尽きて、次々と亡くなられていきます。やがて生存者がひとりもいなくなる日が来ることは確かですが、日本政府はその日を待っているかのようです。「慰安婦」問題はなかったことにしようとしたり、2015年の「日韓合意」でこの問題は解決した・・・などと言っているのです。メディアは政府に同調して、「これで『慰安婦』問題は一件落着」と報じましたが、これはとんでもないことです。
このような日本政府に対して、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)は2024年の審査で、日本政府に多岐にわたる勧告を出しました。「慰安婦」問題に対しても、日本政府がすべきことが多々あるという厳しい勧告を出しています。そして、これは初めてのことだったのですが、沖縄の米兵による性暴力問題を深刻な課題として取り上げ、加害者への処罰、被害者支援、日米地位協定の課題などを日本政府に勧告しました。
このように性暴力問題では、国際社会は厳しく日本政府をみています。私たちはアジア各国や欧米の女性運動や人権運動の人たちと連帯して、戦時性暴力を根絶していく活動を続けていかなければならないと思っています。
● 「慰安婦」サバイバーに励まされ、共に歩んでいこうと
私たちは「慰安婦」サバイバーの女性たちと出会い、励まされ、「絶対に諦めずにやりきるんだよ」と言われてきました。その言葉を宝物のように感じています。「慰安婦」問題が真の解決に至るまで、闘いは続きます。被害女性たちはいつの間にか一人一人が“人権活動家”のようになって私たちを励まし、私たちの先頭に立ってくれました。このことを、決して忘れることはありません。
今みなさんにお配りしている黄色いチラシをご覧になって、「慰安婦」問題に関心を持たれたり、「もっと知りたい」と思う方がいらしたら、お声をかけてください。是非ご一緒にやっていきましょう。
