今日は、インドネシアで日本軍によって「慰安婦」にされた女性、マルディエムさん(1929年2月生~2007年12月20日死去)について、お話します。


私は、ピースボートという「国際交流の船旅」を実施している市民団体で活動しています。

1996年、マルディエムさんに、ゲストとしてご乗船いただきました。その後も、インドネシアを訪問するスタディツアーを実施しましたが、その際にも、ジョグジャカルタでマルディエムさんにお話を伺う場をもつことが出来ました。


ピースボートでゲストとして乗船したマルディエムさん



マルディエムさんは、19292月生まれです。

1924年、劇団員の仕事に応募し、カリマンタンのパンジャルマシンに連れていかれました。他の証言録を読むと、歌手になれると騙されたと書いてあるものもありますが、私は劇団員の仕事に応募したつもりだったと伺いました。劇団員の仕事は歌を歌うことも想像できますし、劇団員であろうと、歌手であろうと、「慰安所」であるという事実を告げられず、騙されたことに変わりはないと思います。



マルデェムさんはそこでモモエという名をつけられ、1日平均15人、多い日は20人もの男たちを相手にしなければなりませんでした。あまりの苦しさで気絶したこともありました。他の「慰安婦」にされた友人の中には精神的ショックで盲目になった人もいたとのことです。



当初、給与をもらえるとマルディエムさんは聞かされていましたが、実際に支払われることはありませんでした。チップを与える兵士もいました。チップ替わりにタバコを与える兵士が多かったので、マルディエムさんはタバコを吸うことを覚えたそうです。殴る、蹴るなど暴力を振るう兵士もいました。兵士たちはコンドームを支給されていましたが、使いたがりませんでした。

14歳のときに妊娠しました。チガタという兵士に病院に連れて行かれ、中絶手術を受けました。麻酔もなく、不衛生な状況であったため1カ月間出血が止まりませんでした。はじめ子どもは死んでいたと聞いていましたが、実は暫く生きていたということを後から聞かされました。マルディエムさんは子どもを殺してしまったことに対する罪の意識に苦しみました。



戦後、結婚し、子どもを授かることが出来ましたが、夫とのSEXは苦痛でしかありませんでした。マルディエムさんと一緒に「慰安婦」にされた24人のうち、子どもが出来た女性は二人しかいません。マルディエムさんは子どもの後押しもあり、ジョグジャカルタで初めて元「慰安婦」として名乗ることができました。


しかし名乗りをあげてから、侮辱を受けたことがふたつあると言われました。

ひとつは、日本政府に対し、正式な謝罪と個人補償を求めて、テレビや新聞などを通じ訴えたにも関わらず、まったく何の反応も得られなかったこと。マルディエムさんは無視されたことに対してひどく屈辱を覚えたということでした。

もうひとつは、日本から帰国したとき、強盗が自宅を襲い、ナイフを突きつけて、「日本へ行って、いっぱい金をもらってきたんだろう。その金を出せ」と言って、マルディエムさんを脅したことでした。彼女はあまりにも悔しくて自殺したかったけれども、イスラム教徒であるため自殺も許されなかったとのことでした。




 マルディエムさんをピースボートにお招きしたのは、ひとつの事件がきっかけでした。中京テレビが制作したドキュメンタリー「IANFU~インドネシアの場合~」が、1996930日、日本テレビ系列の放送局で放映されました。

大変優れたドキュメンタリーだったのですが、週刊誌「SAPIO」で、藤岡信勝東大教授(当時)と同誌に漫画「ゴマニズム宣言~戦争論」を連載していた漫画家の小林よしのり氏が、番組の字幕がデタラメだと批判の記事と漫画を掲載しました。私は、彼らの主張に対抗すべく、マルディエムさんの話を多くの人に聞いて欲しいと思い、ピースボートへの乗船をお願いしました。マルディエムさんは、その頃体調が優れなかったにも関わらず、快く了承して下さいました。洋上では、マルディエムさんによる証言会以外に、中京テレビが制作したドキュメンタリーの字幕の検証を行いました。

私はマルディエムさんとジャーナリストの西野瑠美子さん、インドネシアの人権団体LBHのスタッフと一緒に字幕をチェックしました。

検証の結果、意図的に事実を隠した字幕はないことが分かりました。西野瑠美子さんは、検証結果について記事を書き、その記事が週刊誌「週刊金曜日」に掲載されました。西野さんに伺った話によると、中京テレビはその反論記事が出た後、第二弾を制作し、放映したそうです。


19971月、テレビ朝日の番組「朝まで生テレビ」で、「慰安婦」問題が取り上げられました。その討論番組で、西野さんが、藤岡教授に「あなたは、名乗り出た女性たちが売春婦だと言っているが、実際にインドネシアに行って、彼女たちの話を聞いたことはあるのですか?」と問いただしました。すると藤岡教授は、「インドネシアには行っていません。なぜなら、彼女たちに会うためには必ず兵補教協会を通さねばならず、兵補協会は法外な費用を要求するからです」と答えました。


私は、聴衆として会場にいたので、思わず怒鳴ってしまいました。「藤岡さんが言っていることはデタラメです。インドネシアで、『慰安婦』にされた女性に会うための窓口は兵補協会だけではありません。私は、LBHという人権団体を通して、被害者の女性にお会いしました。法外な費用を要求されるようなことも一切ありません。無責任なことは言わないでください」。


被害女性を売春婦だと侮辱する人たちが被害当事者の話を聞く気さえないことが明らかになった瞬間だったと私は記憶しています。



マルディエムさんは、その後、インドネシアで「慰安婦」被害者として名乗り出た女性たちの相談に乗っていたと聞いています。2000年に東京で行われた女性国際戦犯法廷でも証言して下さっていました。出来るだけ多くの人に「慰安婦」問題の事実を知って欲しい。特に若い世代に真実を伝えて欲しいとマルディエムさんは常々言われていました。私も直接伺った証言を伝えていきたいと思います。