韓国国会議員、平和の少女像撤去問題についてドイツ外務省に要望書提出
受信:ドイツ外務省長官
参照:駐韓ドイツ大使、ベルリン・ミッテ区長
平和の挨拶を送ります。
私たち大韓民国国会議員は、9月28日に平和の少女像が建立されたという嬉しいニュースに接しました。これは、ベルリン市民と世界の人々が戦争の中で残酷に蹂躙された女性の人権の歴史を記憶し、勇気を奮って闘って来た被害者たちの精神を継承する崇高な出来事でした。
ところが、わずか数日で再び衝撃的なニュースが流れました。大勢の市民が平和と人権への熱望を込めて自発的に建てた平和の少女像に対して、ミッテ区が撤去命令を出したというニュースでした。
ミッテ区庁が少女像の撤去を命じた公文の中には、「ミッテ区が韓国と日本の間の対立を引き起こし、日本に反対している印象を与える」「一方的な公共の場所の道具化を拒否する」という内容が盛り込まれていたとされています。
このようなミッテ区の立場に深い憂慮と如何の意を表明します。
日本軍性奴隷制問題はすでに1990年代に、被害者たちの証言の積み重ねと国連特別報告者たちの調査によって戦時性暴力であることが明らかにされました。その後、現在に至るまで、国連の人権機関と各国政府および議会から問題解決を求める声が続いてきました。改めて強調しますが、これは被害者と共に各地の女性・人権・平和運動団体、市民社会が導き出した成果なのです。
ところが、この世界的な女性人権運動がミッテ区から日韓両国の利害関係事案と見なされ、貶められてしまいました。これは、これまでの歴史的な事実を否認し責任を回避することによって被害者たちの苦痛を加重させてきた日本政府の立場を代弁するものに等しいと言わざるをえません。
平和の少女像に込められた平和と人権のメッセージを、普遍的な人権の問題ではなく外交的な対立と紛争と見なすミッテ区の視点は、これまでドイツ社会が過去を弛まず反省し国際社会で平和の実現に率先して努力してきたこととも正面から対峙するものです。さらに、ベルリンがホロコーストという悲劇を終わりのない記憶と教訓の歴史へと昇華させ反戦と平和の象徴になっていることとも矛盾するものです。
平和の少女像は、特定の政府によって建てられた政治的な道具ではありません。ドイツの市民が欧州、世界各地の市民と連帯して被害者の苦痛を記憶し悲劇の再発を防ぐために建てた人権の象徴なのです。当然ながら、必要な行政的手続きを全て踏まえて承認を得ています。
2008年から日本の宝塚市(兵庫)をはじめ清瀬市(東京)、札幌市、福岡市、大阪市、京都府などの議会が日本政府に問題解決を求める意見書を採択しました。実に日本国内43の市議会で、正義を求める市民の意思を代弁する意見書が採択されたのです。
韓国と日本を越えて世界の市民が人権と平和への願いを込めて、被害者たちの苦痛に連帯して積み上げてきた成果が、再び日本政府の外交的圧力の前で挫折するならば、これはまた別の人権侵害の歴史をベルリンに刻むという非常に残念なことになるでしょう。
今、全世界の人々がドイツとミッテ区に注目しています。
私たち大韓民国の国会議員は、平和の少女像が守られることを熱望する世界の女性、市民たちと共に平和と人権が実現されることを願う一心で、この書簡を送ります。
ドイツとベルリン・ミッテ区の賢明な決断があることを、女性がこれ以上、戦争で性暴力の被害者になってはならないという明確なシグナルを送ってくださることを、心からお願いいたします。
2020年10月13日
大韓民国国会議員 113名