サバイバーを記憶する~ 中国のサバイバー 張先兎さん
2023.7.19の水曜行動 in 新宿
サバイバーを記憶する~中国のサバイバー 張先兎さん
私たちは、中国の山西省というところで、日本軍により性暴力被害を受けたおばあさんたちの裁判を支援してきました。私たちはおばあさんたちを尊敬を込めて大娘と書いてダーニャンと呼んでいます。
裁判は ひとりの遺族と9人の被害当事者合わせて10人の原告で1998年に東京地裁に提起されました。今日は原告のうちの張先兎(zhang xian tu 、チャン シェンツ-) さんのお話をしたいと思います。
今日は7月19日ですが、7月と言えば7月7日は七夕ではなく、私は盧溝橋事件を真っ先に思いうかべま1931年の9月18日の柳条湖事件とともに1937年7月7日に盧溝橋事件が起きたことは みなさん学校で習ったと思います。盧溝橋事件を契機に、日本の中国侵略は全面化・泥沼化していきます。
日本軍は「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)を掲げ、8月には上海に上陸し、そして南京をめざしていきます。「暴支膺懲」 とは、暴れる中国人を懲らしめるという意味ですが、自国を侵略されて、抵抗するのは当たり前のことです。
張先兎さんたちの住む山西省にも日本軍は侵入していき、様々な戦争犯罪いわゆる三光作戦を展開しましたが、女性に対しては、強姦、拉致・監禁が頻繁に行われました。
張先兎さんは山西省の盂県というところで1926年旧暦9月に生まれました。被害にあったのは、1941年旧暦の1月2日でした。張さんは満年齢で14歳でしたが、結婚したばかりでした。夫は二つ年下だったので、夫婦関係はありませんでした。
村を襲った日本軍は張さんを銃剣でおどし、纏足(てんそく)でうまく歩けない張さんを背負って日本軍の拠点に連行しました。纏足というのは、女の子の足を幼いうちから、親指以外の4本の指を折り曲げ、布で固く縛って足を大きくしないようにした、明・清のころからの中国の悪習です。足が小さいほど美人だとされました。
張さんは日本軍の拠点に連れていかれる途中の民家の一室で7、8人の日本兵に数時間にわたって強姦されました。まだ、性体験のなかった張さんは、自分の身になにが起こっているのかもわかりませんでした。下半身血まみれになって拠点に監禁されてからは連日十数人の日本兵に強姦される日々が続きました。
家族が借金をして、身代金をはらって20日後くらいに解放されまガリガリガリガリに痩せて、身動きできない状態でした。拉致・監禁された被害者は、身代金を払ってようやく解放されるというケースが多かったのです。
家にもどってからも立ち上がることもできない状態が1年も続き、生理も10年くらい止まってしまいました。その後も様々な後遺症になやまされました。幼い夫は、張さんが連行されたときは恐怖で震えて助けることはできませんでした。その時の恐怖のため、手ががくがくする病気になってしまい、ずっと仕事ができなくなってしまいました。身代金を払うために、多額の借金をしたので、満足な治療もできず、苦しい生活はずっと続きました。
張先兎さんは 「私の日本人に対する恐怖と恨みは、50年たっても消えません。当時のことを思い出すたび、恐怖で体が震えてくるほどです。今でもしばしば悪夢にうなされます」と語っています。張さんが2015年に亡くなり、9人の被害女性はすべて亡くなりました。
1998年に始まった裁判は、大娘たちのリーダーだった万愛花さん、張先兎さんを初め、10人の原告のうち8人が意見陳述・証人尋問に来日され、みずからの被害を裁判所で訴えました。裁判は2003年に地裁で判決を迎えました。
裁判所は、「常軌を逸した日本軍の卑劣な蛮行」と事実を認定し、「行政的・立法的解決は可能」という付言もつけましたが、 2005年11月最高裁で 敗訴が確定しました。
日本政府は、裁判所が事実認定しようが、付言をつけようが、全く動くことはありませんでした。今年で地裁判決から20年たちますが、政府は謝罪・賠償どころか、性暴力被害も、そしてあらゆる戦争犯罪もなかったことにして、再び 戦争への道を進もうとしています。
大娘たちのリーダーだった万愛花さんは、死ぬ間際にも私たちに「決してあきらめないで闘って」と言い残しています。
私たちは万愛花さん、張先兎さんら大娘たちが日本政府に謝罪と賠償を求めて 立ち上がった勇気と言葉を胸にこれからも 日本政府が歴史認識を改めるよう、あきらめずに頑張っていきたいと思います。
*参考:張先兎さんが亡くなったことを報じた人民網(日本語版)
http://j.people.com.cn/n/2015/1113/c94473-8976186.html