インドネシア エンレカン県(ダルマゥイさんたちが活動してきたカロシのある県)で、サフラさんというサバイバーが亡くなったと、現地の支援者のムリヤントさんから鈴木隆史さん(インドネシア・南スラウェシの被害者支援・調査をしている)に連絡があったそうです。
亡くなった日や経緯は、まだ確認できていません。
サフラさんは、バラカ郡のパニュラという村で、農民の両親のもとに生まれました。
5人暮らしで、生活は楽ではありませんでしたが、カカオと胡椒を栽培して暮らしていました。
当時、村の中を、日本兵が歩き回っていました。ある日突然、サフラさんの家に3人の日本兵が入ってきて、ルラ(被害者たちが土砂運びの労働をさせられたトーチカのあった地区の通称)にあった「ルマ・バンブー」(竹でできた「慰安所」)に連れて行かれました。
自宅から20キロくらい歩かされルラに着くと、日本兵に部屋で服を脱がされ、体を触られました。
言葉は通じないけど「バゲロー」(「バカヤロー」)は覚えています。
昼間は土砂を運び、食事も作らされました。夜になると、日本兵が交代でやってきて、毎日相手をさせられました。すでに生理もあり、20歳くらいでした。名前は忘れましたが、知り合いもたくさんいました。日本兵たちが撤退するまでルラにいました。
家に戻ると両親は受け入れてくれました。
2年後に出会った男性と結婚しました。
結婚前に過去のことを話し、受け入れられました。
夫は農民で、水田を持っていました。子どもは6人。
自分で作った胡椒やカカオを売ったお金で、子どもを大学に入れました。
夫は亡くなりましたが、孫もいます。
当時のことは、今も突然思い出すことがあります。
おだやかに見える暮らしの中でも、突然当時のことを思い出すことがあると、語られたサフラさん。懸命に働き、家族に囲まれても、強制労働と性暴力にさらされた経験は、心の深い所に傷を残したままだったのでしょう。
サフラさんのゆく道が寂しくないよう、ともに祈ってください。
(松村徳子)