2022-11-19

[取材;インターネット言論人連帯 取材本部編集 李ソヒョン記者]



「挺対協・正義連は、尹美香(ユン・ミヒャン)議員が独断で意志決定できるシステムではない

戦争と女性の人権博物館の前学芸員が出廷して反駁


 

少女像 資料写真(法律ドットコム)




 1990年に日本軍性奴隷制問題解決運動のために結成された韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)と2015年韓日協定以降に設立された日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)は、定款に基づいた意思決定システムを持った組織ということが再度確認された。



 

 検察は尹美香国会議員が挺対協常任代表・正義連理事長だった期間、団体を独断的に運営し、業務上横領をしたと主張した。しかし、長い間挺対協の共同代表だったAさんはこれを強く否定した。

 


 これはソウル西部法院刑事合議11部(部長判事:文ビョンチャン)が1118日開いた、尹美香国会議員ら正義連関連第22回公判でのことだ。

 


 挺対協前共同代表が証言、「常任代表の独断決定はできない」

 


 この日証人として挺対協前共同代表のAさんが出廷した。Aさんは1997年~2005年、挺対協執行委員、2005年~2018年挺対協共同代表、2018年~2020年挺対協代表を務めた。また2016年正義記憶財団の設立推進委員長、2018年~2020年正義連理事兼運営委員長を歴任した。

 


 挺対協・正義連の議事決定システムを尋問する検察側と弁護人側の質問に対しAさんは、「共同代表団会議と実行理事会会議、代表者会議で決議した事案を事務所が履行する」として、「挺対協の事業執行を事務所がするものであり、事案を独断で決定できない」と強調した。

 


 挺対協は199011月、37の女性団体が連合して創立され、1997年社団法人として政府に正式登録された。Aさんの陳述によれば、「3人以内の共同代表を置く」とする定款に従って共同代表3人体制を維持し、執行理事会は37会員団体の中からそれぞれ委員長を任命する。そして月1回の会議を開催して挺対協を運営してきた。代表者会議は総会の性格で、各会員団体の代表が参席して前年度事業・会計決算と次年度事業、予算などを審議し、共同代表と理事を選出するなど挺対協の組織と政策方針などを決定する。

 


 この代表者会議の決定事項を毎月の執行理事会の審議と合意を経て事所所職員が遂行するシステムだ。

 


 共同代表3名の時、初期には韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合、韓国挺身隊研究所の代表が任じて来た。各団体代表者が変更された場合、挺対協共同代表も変更され、運動の連続性に障害があるという政策企画委員会の2003年の問題提起によって、団体別代表ではない日本軍性奴隷制問題解決運動を十分に理解して活動できる人で共同代表を選任すると決定した。

 


 尹美香議員は1992年から挺対協常任幹事として活動し、事務総長に在任していた2007年に代表者会議を経て共同代表に選出された。

 


 Aさんは、「挺対協運動は早期に終わると思ったが、時が経つほどに過熱し、活動力がある人を常任代表にしようということで当時の尹美香事務総長を共同代表に選出、常任代表にした」と説明した。

 


 そして、「常任代表が沢山の仕事をして業務集中度が高くても、常任代表が単独で主要案件を独断的に決定できるのか?」との弁護人団の質問に、Aさんは「できない」と断言した。

 


 収入・支出など財政に関して、「財政は財政委員長の監督下にある。財政委員長が監督・執行した後、執行委員会に報告するシステム」だとし、「(収支内訳は)事務所長が確認し、常任代表がチェックし、共同代表会議で点検し、財政委員長が実行理事会に報告する」とし、単独決定でなく内部意思決定システムによって透明に会計を管理すると述べた。

 

 つまり、検察の主張とは異なり、尹美香国会議員が挺対協のすべての事業を決定したり財政を独断で処理できるシステムではないということだ。

 


 検察が業務上横領容疑の根拠として提示した尹美香議員に対する医療費、車両修理費、総合所得税などを挺対協が支出したことについても、既存の理事決定システムに従って決議したと確認された。

 


 Aさんは、「20167月の執行理事会で尹美香代表が司会する予定だったが、急に甲状腺ガン手術をすることになって私が司会した」とし、「司会をする過程で尹代表入院の話が出て以前にも病院に通っていたと知っていたが、ガンに悪化したのは挺対協活動の過労のためだ。挺対協の過重な業務のために病気が悪化したので挺対協が支援してはどうかと提案し、執行委員が満場一致で決議した」と明らかにした。

 

 しかし、当時の執行理事会の会議録には当該記録がないが、「それは私が議案として提案し、執行委員が満場一致で決議し、記録者にその決議案を読み上げるように言った。しかしそれが抜け落ちていたので、記録者に記入するように指示した」とし、「しかし後で読んでみると抜け落ちていた。当時の司会者の私が共同代表として責任があるが、その責任を果たせなかったと認める」と述べた。

 


 201611月の車両修理費の支援についても、「尹美香代表が欠席した場で他の共同代表と論議した。事故が起きて修理費が生じたことを知った」とし、「尹美香代表が全国を走り回っても専用車を提供できなかった。挺対協活動のために事故が起きたので、本人負担にするか、挺対協が支援するかを論議して共同代表会議で決議した」と説明した。

 


 20185月の総合所得税の支援に関しても、尹美香当時代表が外部講演をして受け取った講師料を挺対協に寄付していたが、講演料による総合所得税が発生したので、これは挺対協が負担するのが正しいと決定したと確認された。

 

 しかし検察は、尹美香議員や挺対協職員が、先支出・後補填をしたら、横領する考えを持つのではないかと尋問した。

 

 しかしAさんは、「挺対協が毎年監査をする時、監査が実務者の人件費を少し上げるように指導した。それほどに献身的なのに、不純な考えを持つだろうか?そんな仮定は非常に心痛む侮辱だ」と指摘した。

 


 この日の公判で、安城(アンソン)「平和と治癒のわが家」(安城ヒーリングセンター)購入当時、共同代表者会議、実行理事会会議で10回以上論議した会議録が公開された。検察が主張するように尹美香議員独断で決定した業務上背任ではなく、挺対協の意思決定システムに従って購入したことが反証された。

 


 戦争と女性人権博物館の前学芸員の法廷陳述に対する反駁証言も

 

 この日の公判で、戦争と女性人権博物館の前学芸員Bさんの昨年12月の法廷陳述に反駁する証言があり注目を受けた。

 

 当時Bさんは、戦争と女性人権博物館の学芸員として勤務したことがなく、2013111日ソウル市文化委員会の審議会議に参席したこともないと主張したことがある。

 

 しかしこの日証人台に立った挺対協の前職員のCさんは、「私の記憶に忠実に申し上げる」とし、具体的にBさんの当時の法廷陳述に反駁した。

 

 2013111日当時を尋ねる裁判部の質問にCさんは、「(ドーナッツ店で)コーヒーを飲んだようだ。そこでBさんと会って西小門(ソソムン・ソウル中区)市庁の別館に入った。高層から外を見下ろした記憶がある」、「(審議会議後)西小門の市庁別館コーナーを廻って小さな駐車場のようなところがある。そこで近況を話し合った。楽しく話した記憶がある」と証言し、具体的な会話内容も述べた。

 

 さらに、Bさんが直接、通帳開設のために印鑑をつくって来て、Cさんが印鑑製作費をくれた。また、Bさんは通帳開設して、Cさんへ通帳と印鑑を渡したと述べた。弁護人側はBさんが自ら「戦争と女性人権博物館」と記入した通帳も法廷に提出した。

 

 「Bさんが通帳開設に抗議したことはないか」という裁判部の尋問に、Cさんは「それはない。和気あいあいだった」と答えた。Bさんの陳述とは相反するという検事の指摘に、Cさんは「Bさんが記憶していないからかも知れないが、私としては理解できない」と答えた。

 


 Bさんの「戦争と女性人権博物館学芸員として勤務したことがない」という法廷陳述についても、Cさんは「学芸員だった」と証言した。また、「(Cさんは)経験があっていつでもお願いできる関係なので、学芸員になってもらった」と反駁した。

 

 ただ、戦争と女性人権博物館は「行動する博物館という趣旨を持っているので、活動家たちがアイデアを出し、資料を探すこともできた」として、Bさんが学芸員だったが、特別な支援を依頼したことはないと述べた。

 

 ここで検察は、Cさんが私立博物館協議会の補助金支援事業から受け取った人件費を挺対協へ寄付した行為について補助金法違反だと主張をした。しかしCさんは、「自発的な寄付」と繰り返し強調した。

 


 次回第23回公判は1128日に開かれる。



(訳 権龍夫)