◆ 辛淑玉さん

  今と未来を変えよう。

  雨の日も、風の日も、雪の日も、日照りの日も、彼女たちはそこにいた。
  笑いながら、怒りながら、泣きながら、絶望しながら。
  多くの支援者は、そこに足を止め、そして、自分たちの生活の場に戻った。
  日本大使館前の開かない門、届かない声、通り過ぎる人たち、
  そして、彼女たちの目の前には、孫ほどの年齢の韓国の警察官が立つ。
  それぞれの国家は、彼女たちが存在しないかのように反応をしない。
  無かった事にすることで、未来志向が成立する男社会。

  枯れた涙の先には、痛みを超えた叫びが生まれた、その叫びは世界中にこだました。
  だのにいまだに聞こえないフリをする人たちに、
  私たちは、拡声器となろうじゃないか。同じ女として。
  その痛みは、私の腹を刺し、私の子宮をワシづかみにし、私の胸を引きちぎる。
  その痛みは、すべての女が経験した痛みだ。忘れさせてはいけない歴史がある。

  1000の叫びを、魂に刻もう。
  そして、声を上げて今と、未来を変えていこう。



プロフィール
 (株)香科舎代表。人材育成技術研究所所長。企業、自治体、教育機関など組織の人材育成指導を手がけ、講演、研修、マニュアル制作などを行う。また、構造的弱者支援活動を実践、「多様性」というセーフティネットの構築を目指す。



中山千夏さん

  歩く老いたオモニの姿に、我が祖母と母が重なる。
  オモニたちには参政権が無かった。
  施しの生を利用されつくした。
  オトコ社会に。オトコ国家に。
  さんざん殴っておきながら、けろりと忘れようとする彼ら。
  忘れさせようとする彼ら。
  またわずかばかりの施しをして。
  歩く老いたオモニの姿に、かみしめた奥歯が鳴る。
  いや、忘れるものか。
  私は決して忘れない。決して。
  誓ってオモニのあとを歩く。
  オトコ国家よ、はっきりと己が罪を認めよ。
  せめて明らかに謝罪せよ。
  それでこの傷跡が消えるわけではないが。

プロフィール
 作家。1986年から参議院議員を一期務める。現在は著作活動に専念するかたわら、反戦、死刑廃止、人権などの運動に 取り組んでいる。韓国で出版されている著書に『からだノート』、絵本シリーズ『となりのイカン』『どんなかんじかなあ』『いきてる』『へんなの』 がある。



高遠菜穂子さん

  ハルモニたちにデモを1000回も続けさせてしまいました。

  今度は私たちが応える番。

  今まで言葉にできなかったこと、踏み出せなかった一歩、

  今ならできそうな気がします。



プロフィール
 2003年イラク初入国以来、NGOと共に、病院調査.医薬品運搬.学校建設・ストリートチルドレンの自立支援に関わる。現在、「イラク.ホープ・ネットワーク」メンバー。「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」呼びかけ人。



マイク・ホンダさん

私は、韓国水曜デモ1000回アクションに向けて心の中で皆さまと共に立ち上がることを光栄に思います。大日本帝国時代に行われた人身売買と性的奴隷制度を生き残った勇敢な皆さんとその支援者たちは、20年間にも渡りソウルにある日本大使館の前でデモを続けてきました。来る日も来る日も、炎天下やどしゃぶりの雨の中でも、凍えるほどの寒さの中であろうと、もっと早く訪れるべきである正義と平和のためにデモを行ってきました。

私は2007年に連邦議会決議121を米国連邦議会下院に提出し、日本政府に第2次世界大戦中に行われた20万人の女性に対する犯罪の歴史的責任を全面的に認め、明確かつ曖昧さのない形で謝罪をするよう求めました。決議は全会一致で可決されたにもかかわらず、日本政府は未だこの悲しき歴史に幕を下ろそうとはしていません。議会決議121を提出した際にも強調したように、この決議の目的は日本国を批判するものでも辱しめることでもありません。この決議は、あの残虐行為を生き延び、現在まで生き残っている数少なき女性たちに正義を与え、あまりにも長い間暗闇に隠されてきたあるまじき人権侵害を明るみにだすためです。

それから20年が経過したにもかかわらず、いまだに日本政府からの必要な行動を得られていません。皆さんが、自らの体験や辛抱強い政策提言活動(アドボカシー)を通して、世界中の女性の将来により良い変化をもたらしてきたことを確信していただけたらと思います。私は母の息子として、妻の夫として、そして自らの娘の父親として、皆さんに感謝しきれない気持ちで一杯です。皆さんが得るべきである明確な謝罪と和解を得られるまで、私は数百万人の支援者と共に立ち上がります。



プロフィール
 米国連邦議会下院議員。2007年には、日本の歴史的責任に関する米国連邦議会下院決議案121を議会へ提出。それに は、日本政府は歴史的責任に関して、明確かつ曖昧さのない形で、正式に認め、謝罪し、容認すべきだと述べられていた。また日本政府は、「慰安婦」問題は一 切存在しなかったといういう主張に対しても反駁すべきであり、「恐るべき犯罪」に関して現在そして未来の世代を教育すると同時に「『慰安婦』に関する国際 社会からの勧告に従う」べきであると述べている。この決議案は2007年に全会一致で可決された。


金子兜太さん

  韓国水曜デモ1000回アクションに賛同します。

  (入院中なので、メッセージを書くことができませんが賛同します、とのご家族からのご連絡です)

プロフィール
 1919年埼玉県秩父で出生。旧制水戸高校を経て、1943年東京大学経済学部を卒業し日本銀行に入行。3日後に海軍 経理学校に短期現役士官として入校したのち海軍主計中尉に任官してトラック島第4海軍施設部に赴任。トラック島の第4海軍施設部主計中尉として、トラック 島の「慰安所」の管理等の任務についた。
 45年日本の敗戦で米軍の捕虜となり、終戦処理のあと46年11月帰国。その後日本銀行に復職し、日本銀行に勤務する傍ら俳人として活躍。74年に日本銀行退社後はもっぱら俳人として活躍し、数々の受賞歴がある。現在朝日俳壇選者。