<広島ネットワーク>日本政府のソウル中央地方法院判決受け入れ拒否に強く抗議します

 内閣総理大臣 菅 義偉 さま

外 務 大 臣  茂木敏充 さま


日本政府のソウル中央地方法院判決受け入れ拒否に強く抗議します



2021年1月8日、韓国ソウル中央地方法院は、元日本軍性奴隷(いわゆる「慰安婦」)被害者が日本政府に対して提起した訴訟に関して、原告に対して損害賠償の支払を日本政府に命じる判決を下しました。この判決を不服とし、日本政府は「国際法の主権免除の原則」から、日本国政府が韓国の裁判権に服する必要はないし、同時に判決は、2015年12月の日韓外相会談合意にも反しているという趣旨の外務大臣談話を発表しました。(「主権免除」とは、主権国家は他国の裁判権に従うことから、免除されるという国際慣習法)



人権侵害での「主権免除」は許されない 


厳密には「主権免除」は実定法としての国際法ではなく、国際慣習法です。慣習法であるということは、時代が移り変わり国際的な社会環境や人々の思考方法が変われば、その慣習法に対する考え方も変わらざるを得ないということです。したがって、「主権免除」の慣習法の解釈についても、この数十年の間にかなりの変化が見られます。


その変化の一つは、国家が強制労働、拷問、奴隷化やジェノサイド(大量虐殺)など由々しい人権侵害の犯罪を犯した場合には、それらに対する免罪・免責は許されないという考えが国際的に広く共有されるようになってきたことです。なぜなら、人権侵害の犯罪行為を許すならば、国家が悪事を行うことをあからさまに許すことになってしまい、その結果、国際的平和が保てなくなってしまうからです。

 


   同時に、戦争犯罪や上記のような人権侵害については、それらを防止するための様々な国際条約がこれまで設置されてきましたが、これらの犯罪行為に「主権免除」を適用するならば、条約の効力も全く意味をなさなくなり、これまた国際的平和の構築と維持を甚だしく損なうことになります。日本軍性奴隷制の場合は、日本が加入した1907年ハーグ条約、1921年国際連盟「女性と児童の人身売買禁止条約」、1930年 ILO「強制労働に関する条約」などに、明らかに違反する国家犯罪です。



  よって、「主権免除」の原則によって、日本政府が日本軍性奴隷制問題で責任をとる必要がないという主張は、人権侵害に対する「主権免除」の否定という、世界的に広く受け入れられつつある人道的な思想に逆行するものであると同時に、明らかに上記の諸国際条約にも違反する、いわば「犯罪を犯してなにが悪い」という居直りの態度で、国家としても国民としても、きわめて恥ずかしい言動です。



   ソウル中央地方法院判決は、主権国家免除の背後に隠れようとする被告日本国を鋭く批判し、人権とジェンダーに誠実に向き合った韓国司法が国際的にも新たな時代を切り開いた画期的な判決なのです。



日韓合意の虚偽性と被害者の人権無視


   日本政府の戦後これまでの長年にわたる日本軍性奴隷制や強制労働問題での責任否定は、1948年に国連で採択された「世界人権宣言」の第4条「何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する」や、第6条「すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する」という条項を無視する、人類普遍の倫理に反する非人道的な言動であると言わざるをえません。



   1月23日の茂木敏充外務大臣談話では、ソウル中央地方法院の判決文が、2015年12月の日韓外相会談における「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決」という合意にも反するものであると述べられています。「最終的かつ不可逆的な解決」とは、具体的には「『平和の碑』を撤去し、金を出すから今後はこの問題に一切言及するな」という不遜な要求でした。


 その一方で、「日本政府は責任を痛感している」とか、安倍内閣総理大臣は被害者に対して「心から反省の気持ちを表明する」と述べておきながら、生存しておられる被害者には誰一人として、首相や外務大臣が直接に謝罪を述べたことはありませんでした。しかも、その後も、安倍首相は「慰安婦を強制連行した事実はない」と国会内外で公言し続け、日本政府の責任を事実上否定し続けました。つまり、「心から反省の気持ちを表明する」という言葉は、あからさまな嘘だったわけです。




   さらに、この合意では、当時の岸田文雄外務大臣が、「全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒す措置を講ずる」と述べました。ところが、その直後から、「最終的かつ不可逆的な解決」で合意したのであるから、「平和の碑」を、ソウルの日本大使館前から撤去することを日本政府は強く要求しはじめました。この「平和の碑」が、昨年9月にベルリン市内のミッテ区に設置されたときも、再び、恥ずかしげもなく日本政府は撤去をドイツ政府に要求しました。ところがミッテ区は、市民からの撤去反対を受け入れて一年間の設置を認め、同区議会はさらに恒常設置に向けて動き出しています。「平和の碑」は、日本軍性奴隷制という被害者に対する人権侵害を永く人々の記憶にとどめ、生存しておられる被害者の「心の傷を癒す措置を講ずる」一つの有効な手段でもあり、戦時性暴力を始めあらゆる暴力を否定する平和への願いが込められています。




    こうした一連の日本軍性奴隷制問題をめぐる日本政府の対応をみてみると、日本の政治家や官僚が、日本軍性奴隷制問題を、「世界人権宣言」の第4条や6条を深く心に刻みながら、「人間の痛みの問題」、「人権侵害問題」と捉えるのではなく、もっぱら日韓の二国間の外交問題としてのみしか考えていないことが明白となります。人権を侵害され、長年ひじょうに辛い思いをされて苦悩の生涯をおくってこられた戦争被害者の「心の痛み」に、倫理的想像力を働かせ、その痛みを自分の痛みとして共有しようという気持ちが全くないことが分かります。




日本軍性奴隷制問題に向き合うことは人間の生き方の問題


   日本軍性奴隷制というのは、日本の国家権力が何の罪もない – 朝鮮半島、中国、台湾、フィリッピン、ビルマ、インドネシア、オランダ、南西太平洋諸島、日本など - 数多くの女性たちを強制的かつ組織的に動員して戦時の性奴隷とし、その女性たちの一度だけの生涯を徹底的に踏みにじった組織的な犯罪制度です。由々しい「人道に対する罪」を、国家が多くの女性に対して計画的に犯した組織的な戦争犯罪なのです。

したがってこれは、単に日韓の外交問題ではなく、国籍に関わらずあらゆる人の人権を尊重し、この社会を人間らしく私たちが生きていくためにはどうしたらよいのかを考えるべき、私たち一人ひとりの問題だといってもよいのです。



  今、日本の政治家や官僚に根本的に求められているのは、したがって、単に政治家や役人としてこの問題にどう対処するのかということではありません。まずその前に、「人間として、あなたは被害女性にどう向き合うのか」ということが問われているのです。

この「人間として」という根本的な視点に立たない限り、日本軍性奴隷制問題だけではなく、日本軍が犯したいかなる残虐行為の責任問題も解決することはできないと私たちは確信します。戦後75年を経ても、日本が韓国、中国をはじめ多くのアジア諸国から戦争責任問題で非難され続けている重大な原因の一つは、国際法の規定や解釈のいかんにかかわらず、「被害者に人間としてどう向き合うか」という発想が為政者と官僚に完全に欠落しているからなのです。



  日本の為政者と官僚が、日本人の過去の行為を真摯に見つめ、将来より良い社会と国際関係を築いていくために、その責任をいかに果たしていくかを真剣に考えるよう私たちは要求します。


2021年2月2日

 日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク

共同代表 足立修一 田中利幸 土井桂子