「これこそ、最初のMe Too運動ではないですか?」




キム・ヘウォン
 1935年、全羅南道生まれ
 韓国挺身隊問題対策協議会の創立メンバー、慰安婦運動第1世代
物語で書いた『慰安婦』運動史「娘たちのアリラン」著者
 戦争と女性の人権博物館の共同推進委員長
 参与連帯平和国際協力基金出資者


今の日本軍性奴隷制問題を解決するための運動は、過去30年には、"慰安婦" ❶問題を世界史的な女性平和運動として作りあげてきた被害者と活動家の献身的な努力なしには不可能だった。 しかし、最近保守言論の正義記憶連帯(以下'正義連')に対する強引な疑惑提起と蔑視、歪曲は"慰安婦"運動自体を揺さぶるまでに至っている。


8月14日、世界日本軍“慰安婦”被害者メモリアル・デーを前に、"慰安婦"運動の歴史的価値と意味を振り返ってみるためキム・ヘウォン会員との特別インタビューを行った。 挺対協の創立メンバーであり、戦争と女性人権博物館共同推進委員長を歴任するなど"慰安婦"運動の生き証人である彼女は高齢にも関わらず、まるで昨日のことのように鮮やかに過ぎた30年を回顧した。インタビューは6月13日、キム・ヘウォン会員の自宅で行われた。



長い間、挺対協と正義連の活動をしてこられました。 先生が最初に"慰安婦"運動を始めたきっかけは何だったんですか?

当時、私が活動していた韓国教会女性連合会は1970年代から妓生観光反対運動をしてきた団体でした。そうするうちに1988年オリンピックが開かれた年にアメリカのポルノ雑誌<ハスラー>に韓国が売春観光天国であるかのような記事が出たことがありました。その雑誌を読んでとても憤慨した私たちは売春観光反対運動の次元で1988年2月12日「挺身隊の足跡を求めて」というテーマで私を含めて三人の調査団を構成して日本へ行きました。 国益を名分に女性を性的に搾取して抑圧する行動の根が実は日帝時代"慰安婦"制度にあるということを明らかにするためでした。 それが韓国の女性団体が公式的に"慰安婦"問題に参入した最初の行動だと言えます。


当時日本による植民地時代、男性の被害者たちは、「徴用された」「死の峠を越えた」など証言するのに最も悲惨な搾取を受けた女性たちは、証言できない時期でした。 それが日本政府にはどれ程幸いだったでしょう。 私はそれが本当に悔しいんです。 最も力のない植民地の民がやられたということ、その中でも女性被害者は隠れて一言も言えなかったということ、この2つに対する怒りがきっかけになって本格的に活動することになりました。


当時、調査団で活動しながら一番記憶に残る瞬間は?

15日間、日本の南端から北端まで旅をしながら、とても心が痛みました。 どこへ行っても私たちが聞いた辛い話が数え切れないほど多かったからです。  帰国して帰る途中、惨憺たる気持ちになりました。 植民地の民の中でも一番底辺にいる人々がやられたじゃないですか。 私がその前まで死刑制度廃止運動を数十年しましたが、またこんなに胸が痛むことをしなければならないのか、という気がしたんです。ところが、その時、あるロシア詩人の言葉が思い浮かびました。 「祖国に向かって悲しみと怒りを感じなかった人は、本当に祖国を愛するのではない」という。 祖国を愛することは、その悲しみと怒りを抱いていくことだという深い自覚を持つようになりました。


もう1つ思い出すのは、1992年12月に金学順ハルモニとともに日本各地へ証言集会に行ったんですよ。 ある日、大阪だったのか、東京だったのか、雨が本当にたくさん降っていました。 証言集会にも行けず、一日中ハルモニと二人で日本旅館の座敷で寝転びながら、私が「ハルモニは平壌で生まれて連れて行かれたというのに、どうして全羅道の方言なんですか」と聞いたら、そこでまたハルモニが韓国人男性のせいで海南に行って苦労しながら生きてきた辛い過去が隠されていたんです。 その時、ハルモニの切ない話が今も忘れられません。

6月10日、キム・ヘウォン会員が第1443回水曜集会で発言中。
 最近、「正義記憶連帯」をめぐる議論にもかかわらず、この日
水曜集会にはいつになく多くの市民が参加した。


日本軍性奴隷制問題の解決のための定期水曜デモ(以下'水曜集会')がもう28年間続いています。 初めて水曜集会が開かれた日を覚えていますか。 
先生にとって水曜集会はどんな意味がありますか? 

水曜集会がなかったら、果して被害者ハルモニたちがその無念な心情をどのような経過をたどって市民と交感することができたでしょうか。 ハルモニたちが初めて集会に出た時は、恥ずかしいとマスクをして帽子をかぶって出て来ました。ところが参加してみると、自分を応援する人々が至るところにいることを知って勇気を得て、今では「恥ずかしいのは私たちではなくあなたたちだ」と言いながら日本大使館に向かって叫べるようになりました。 そのような意識変革の動力をどこで得たかというと、水曜集会で得たものです。活動家たちも同じです。水曜集会という空間を通じて被害者と出会い、市民にも会って国際的な連帯がその中で形成されたじゃないですか。 教育が行われ、連帯の力を得ながら、この運動が成長してきたと思います。


ところが、最近、李容洙ハルモニが「水曜集会が若者に嫌悪と憎悪を植えつけている、中断されなければならない」とおっしゃいました。
私は水曜集会が憎しみや嫌悪を教えるとは思いません。

私はキリスト教徒です。 キリスト教では、「隣人を自分の身体と同じように愛せよ」、「許せよ」そう教えているのに、「謝罪せよ、賠償せよ」というのが果たしてキリスト教の教えと一致するのか、私も最初は葛藤に陥りました。 『マタイの福音書』16章によると、地上でつなぐことは、天上でもつながれる。地上で解くことは、天上でも解かれる。(訳者注:共同訳引用)という内容が記されています。 神様は霊であるため不正なこと、不義なことを直接解くことはできないが、神様の意志に従う働き手たちが地で結んだことを解こうとする時、「そう、私がお前たちを一緒に助ける」とおっしゃったという意味に解釈しました。


加害者を憎悪して憎むのではなく、その方たちが自分の過ちから解かれて真の解放を味わうことが、神様の意思を実践することだと思います。 特定の民族、特定の性を自分たちと区別して誘引し、抑圧し、搾取したその過ちから解放するという勇気ある行動です。ハルモニたちは、何度も言いました。 「お前たちが謝罪すれば私たちが許す」と。 私たちはまさにこのような嫌悪や差別と闘っているんです。


"慰安婦"運動を30年してきて最も変わったことと最も変わっていないことは何でしょうか?

一番変わったのは、被害者自身の意識が一変したことです。 被害者たちが受けたのは自分たちの過ちや運命のためではなく、加害者の誤った国家観あるいは性意識のためだと悟るようになったじゃないですか。 そうして人権運動家になり、世界平和を主張するようになり…すごい変化ですね。 このような運動の影響で、女性たちのMeToo運動を触発したのです。 (“慰安婦”運動)これこそ最初のMe Too運動ではないですか。 また、この運動に共感した全世界の女性人権運動家、平和運動家たちがおぞましい戦争犯罪を防ぐために戦争を無くすべきだというところにまで進んでいますね。


でも変わらないのは、自分たちの歴史に謝罪はないという日本政府の強固な傲慢さと、その態度なんです。 ところが、昨年8月14日に集会に行き、若者が熱いアスファルトに汗をだらだらと流しながら座っているのを見てながら、「ああ、それでも我々には希望がある。 日本が嘘の主張をするままに人類の歴史は流れはしないだろう」という気がしました。

                              1992年1月8日、宮沢元首相の訪韓を機に始まった「日本軍性奴隷制
                              問題の解決のための定期水曜デモ」は世界約23ヵ国60余りの都市で
                             数万人の参加で連帯してきた ©︎正義記憶連帯


一方では、正義連をはじめ、市民団体に対する保守言論による一方的な疑惑提起と歪曲報道が続いていますが、これに対してどのように見ていますか。

私の周りにもそのような保守メディアにさらされている友人が多いです。 私が戦争と女性人権博物館の建設委員長を務めていた時、募金に参加してくれた友人が、今回の事態が起きると、そちらのメディアだけを見て私に強く抗議する口調で話すんですよ。 自分が少しでもその運動に参加したことを後悔するとばかりに話すので心が折れました。メディアは私たちをやたらに仲違いさせますから。


SNSなど多くの情報に接する人々はきちんと判断できるでしょうが、そうでない人々はあちらのメディアだけを信じる偏った情報で、傷つけるじゃないですか。 しかし、私たちがいくら偏った報道をするなと主張しても、マスコミはびくともしません。 だから、私たち市民が目を覚まして、そのようなメディアを見ないようにしないといけません。 言論改革運動がさらに強烈に起こらなければならないと思いますが、何が代案なのかは分かりません。

最近、あるインタビューで「被害者中心の運動も脱皮し、女性の人権回復からさらに一歩進んで、人類の普遍的価値である平和運動へと進むべきだ」と語られましたね。 

被害者がだんだん私たちのそばからいなくなっている状況です。 この運動を継続するためには、被害者のいない運動を考えなければならないでしょう。 これまでは被害者たちを支援し、労わることに重点を置いてきましたが、これからはそうした部分は政府がするようにして、私たちは人権教育、平和教育にもっと邁進しなければならないのではないかと思います。


1993年だったか、聖地巡礼の時、エルサレムにあるホロコースト博物館に行ってみましたが、本当に感動しました。 彼らはヒトラーの蛮行について世界中に知らせているが、私たちが経験したもっと残忍な犯罪を世界はどうして知らないのだろうか。 人権と平和を教えることのできる教育館を随所に設け、韓国人はもちろん世界の人々に向けて『戦争』とはこのように残酷で人間を破壊させると、教育と広報をするべきではないかと考えました。 そのような教育に重点を置かなければならないのに、強固な南北問題の前で平和運動が力を発揮できず、本当に残念です。

最後に"慰安婦"運動と連帯したい市民たちに一言お願いします。

こんな時ほど、力を与えなければなりません。 今が一番助けが必要な時です。 私が参与連帯の会員になったのも、天安艦の時、「オボイ連合」(※韓国保守団体)がガスボンベを持って参与連帯に来てデモをするという記事を読んでからでした。 会員になって激励しなければと思ったんです。 これまで"慰安婦"運動に参加しなかった方々が今回のことを機にその後悔とすまなさをこめて励まして、参加してくだされば大きな力を得ることと思います。


❶韓国内の正式名称は<日本軍"慰安婦">だ。 "慰安"という単語が、日本軍の立場で叙述されたものであるため、同意できない表現だが、歴史的な用語として小さな引用符を書いて日本軍"慰安婦"で表記する。 最近は犯罪の本質を表す用語で"日本軍性奴隷制"と書く。 混同されやすい単語の、従軍慰安婦は自発的だったという意味が含まれており、使わないようにし、一般の労働を強要された女性を指す女子勤労挺身隊とも区別される。

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             ●水曜集会で会員たちに会いました。


 キム・チョルフェ会員
(職場の同僚たちと水曜集会に参加)

検察は、まるで反民特委(反民族行為特別調査委員会)を解体した親日警察のように圧迫し、親日・朝中東メディアの乱闘で過去30年間守ってきた戦争女性人権活動家の故・孫英美所長を見送りました。 独立後、清算されなかった過去の残滓の中で暮らしている我々は、未完の独立のために戦っているのかもしれません。 暗闇が終わる夜明けが一番暗いそうです。 独立を完成するため、100年前の義兵の気持ちで、水曜集会に臨んでいます。

  キム・チョルヒ会員
                (マスコミ改革を叫びながら毎週水曜集会に参加)

水曜集会は、その前にも時々参加はしました。 しかし、最近、李容洙ハルモニの記者会見以降、これまで日本軍慰安婦問題について無視し、むしろ日本政府と極右勢力の主張を代弁してきた守旧既得権のマスコミが正義記憶連帯に対する偏った歪曲、フェイクニュースを無分別にする姿を国民にきちんと知らせ、正義連に応援を送りたくて、最近は毎週水曜集会に参加しています。 女性・黒人・性的少数者など、世の中の全ての差別は無くならなければなりません。 日本政府の謝罪と反省、賠償を引き出し、二度とこのような戦争犯罪が繰り返されないよう、少女像前の水曜集会は続けなければなりません。 私も持続的に参加します。

      チョン・ミョンジン会員
                        (青年公益活動家学校24期、忠清平和ナビネットワーク活動)

最近、忠清平和ナビが発表した声明書を一緒に分かち合いたいです。 「最近、韓国の闘争を反対する嫌悪勢力は、数々の無理強いと歪曲で水曜集会を弾圧して日本軍性奴隷制運動の主体の尊厳性を毀損している。 彼らは、日本軍性奴隷制問題解決に向けて自由に意見を表出できる公論場であり、最初のMeTooに・WithYouと呼応している数多くの人々の勇気と連帯を奪おうとしている。 勇気を出し合う気のない者たちの嫌悪と攻撃によって、私たちの水曜集会は嵐の中で激しい雨脚にさらされている。 連帯というのは、傘をさしてあげることではなく、一緒に雨に打たれながら話し合いをすること。 一緒に雨に打たれよう」。
                                       
                       文:イ・ミヒョン市民参加チーム長
                                                     写真:編集チーム

                                                           (拙訳:Kitamura Megumi )



〈原文〉
http://www.peoplepower21.org/Magazine/1715703



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